のんびり気まぐれ猫ブログ

教養を身につけたい、そんな年頃。

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良識あるモンスター

この間、北海道のホテルを探していたとき、あるホテルのinformation欄のようなところを何気なく見ていたら、「あの木△拓□さんも訪れた!」みたいな文句が書かれていて、akiさんと2人で
「伏字にする意味あんの?」
とか
「怪しいビデオでこういうのありそう」
とか騒いでいました。私は木下拓郎だと思っているんですが、違いますかね。え、それって誰かって?うん、知らない人。

昨日は、サッカーのチャリティーマッチがありました。チャリティー自体はいいことだと思っているのですが、選手が
「僕たちのプレーで勇気づけたい」
というようなことを言うのは、正直言って、お約束とはいえ心に響くのかね、と思っていました。日本代表チームが前半で2点先制した時点で、Jリーグ選抜チームの勝利はないかなと予想していましたが、
「でも、1点ぐらい得点してほしいよねー」
とakiさんに呟いてみたり。そのあと、カズが点を入れるという予想外の事態に。と言ったら失礼かもしれませんが、このタイミングでゴールするとは展開が出来すぎていると感じたのです。解説の人も若干興奮気味だったし、私も大袈裟ながら、
「日本も奇跡を起こせるかも!?」
と思わずにはいられないようなプレーでした。試合後に発見したのですが、試合前の謙虚なメッセージも、好ましく思えました。著名人で素直にこういうことを言える人というのも、なかなかいないように思うので。

呟きといえば、最近流行(もう廃れ気味か?)のツイッターについて。気軽に適当なことが言い合えるのがいいと思っていたのですが、福島原発の事故以降は情報が錯綜しまくるし、著名人による扇動的な言動もあるしでうんざり気味です。内○樹氏とか…と具体的に取り上げようかとも思いましたが、面倒なので止めることにします。

ただ、全体的な傾向としては、そういった扇動的な言動をなさる方は、その話題(例えば、原発)についての門外漢ではあるが、何がしか(例えば、哲学)の専門家であるという自負はあるようです。もしかすると、本人は自分が扇動的な言動をしているとは思っていないかもしれません。でも、そんな考えが許されるのは、周囲に自分なりの思考力、判断力、決断力がある人しかいない場合です。好意的に解釈すれば、誰もがそういった能力を持っていると信じておられるのかもしれませんが、残念ながらそんなに世の中は洗練されていないと私は思います。

原発事故の対応については、ベストを尽くしていたとは思えません。政府の責任も重いですが、東京電力の対応方針にも疑問は残ります。「絶対安全」と喧伝していたのに、いざ事故が起こると「想定外」と言い訳する時点で、誠意が感じられません。

ただ、情報を出すのが遅い、早く公開しろ、とばかり唱えていた一部の関東人も不思議です。確かに、現状についての報告は遅いのですが、果たしてその数字やら状態が知らされたところで、一般人はどうしていいか分からないと思います。恐らく、その数字やら状態がどういうことを示していて、その場合どのような対処をすればいいのか、ということを知りたいのだと思いますが、放射能の影響に関しては定量的なデータが揃っているわけではないので、何かを明言することはかなり困難だと思われます。一般人に今ある選択肢は、発表を信用して今の生活を続けるか、発表を信用せずに自分なりに防衛する(例えば、西日本に行く)かでしょう。

そういった局面で、一般人に影響するような言動をする著名人というのは、一体何様のつもりなのだろうかと思います。積極的に煽っていたバカもいらっしゃいましたが、善意で言っているつもりのような方もいらっしゃって、個人的には後者の性質が著しく悪いような気がします。著名人の意見で左右されるような一般人は、その人が発言したということだけを根拠に動くので、自分でその行動に対する責任を負わないだろうし、著名人の方も「ただ発言しただけ」という理由で責任を負わないからです。政府も東電も、事故について責任回避していると言われるかもしれませんが、程度は違えど、個人レベルでも変わりません。

とにかく、自分の責任だと認めたくない人は多いようです。もうすぐ都知事選がありますが、それについて某著名人が「今回は投票に行かないのもひとつの選択肢」とおっしゃっていて、頭が湧いているのかと思いました。というのは、投票に行かない人が一定以上いることで選挙が無効になるならまだしも、そういった決まりはないからです。仮に、有力な立候補者を支持していない意思表示だと言うのなら、それは甘いと言わざるをえません。為政者が投票率の低さを見て感じることは、自分に対しての不支持ではなく、市民の政治への無知・無関心という可能性が大いにあるからです。対抗するなら、自分たちの代表を擁立するしかありません。急遽決まった選挙ではないので、時間はあったはずです。でも、自分に明確なビジョンがなければ、その代表などあるはずもありません。

また、今日のことですが、別の某著名人が、「天罰発言といい花見禁止令といいなぜ都民はこの人を都知事にしたのか」とおっしゃっていて、それに対して「ホントです。別の人に入れます!」と返している人がいたりして、反響を考えない著名人と単細胞的思考の一般人にうんざりしました。大体、この著名人は都民でもないので、そもそも余計なお世話だと思うのですが。

天罰発言ですが、個人的にはどうとも思いませんでした。死者に対する冒涜だとか都知事の発言だとは思えないとか言われていましたが、天罰という言葉を悪だと捉えている風潮があるのに驚きました。今まで当たり前だと思っていたものがいかに尊いものであったかを考え直せ、という戒めぐらいの意味だと私は思っていました。それとも、他人に自戒を求められているようで、嫌なのでしょうか。私たちは悪くないから。としたら、その発想こそ傲慢だと思います。

○○がダメだから××に投票しようと言って失敗した例が現与党なのに、まだ感情論で投票しようとする人がいるのには愕然とします。今の政治では自分が不当に差別され、生活が困窮を極めてどうしようもないから、といった根本的な理由があって、かつ新たな立候補者はその問題を解消してくれる、というのなら理解できますが。前述の、別の候補者に投票する方は、天罰とは言わない、花見を推奨してくれる都知事なら、誰でもいいのでしょうか。そんな些末なことを理由に選挙で投票できる今の状況が、誰によって維持されているのかを考えてからでも遅くないと思います。不満はあれど普通に生活できていることが、不変の前提ではないということを忘れてしまった人が多いのかもしれません。

倫理や常識の皮を被って他人を非難し、一方で自分の責任は問われないように理論武装(のようなもの)をし、自分だけは理性的、中立的でありたいと思っている人は、このブログなど見ないでしょうが、ついつい書いてしまいました。見たままを感じたままに書いただけなので、粗削りで構成も充分ではないかもしれませんが、1人の何の権威もないバカの意見として読んでいただけたら、幸いです…でした。
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